COLMUNコラム
<杏理さんに聞いてみたvol.5> “おいしい売り場”をプロデュース
- DATE
- 2025/04/30
SHARE
一言に「食の仕事」といっても「CRAZY KITCHEN」で受けている仕事内容は多岐にわたります。
これまでの連載では主にオーダーメイドケータリングについてお伝えしましたが、もう一つ大きな柱があります。それがプロデュース業。
おいしさをプロデュースするって、一体どういうこと?フードジャーナリストの山口繭子が「CRAZY KITCHEN」主宰者の土屋杏理さんに迫ります。

⚫︎店舗プロデュース業も大切な屋台骨
私が「CRAZY KITCHEN」を率いる土屋杏理さんという女性に初めて会った2日後のこと、別件で引き受けたインタビューの仕事に出向きました。2024年に東京・神谷町に開業した新しい街「麻布台ヒルズ」。この中には多くの魅力的な店舗が並んでいますが、その中の一つであり創業プロジェクトの大きな目玉でもあったのが「麻布台ヒルズマーケット」です。ここに新規スタイルの店を出した老舗中国料理店「富麗華」の支配人に話を伺い、記事を執筆するというのがインタビューの目的でした。
「富麗華の新しいスタイルである “富麗華キッチン”ですが、どんなふうにクリエイションを進めたんですか?」と問う私に、快活な紳士である支配人のKさんは話してくれたのです。「土屋さんっていう、素敵でクレバーな外部クリエイターがいてね」と。話が進むにつれて、すぐにわかりました。おととい会った土屋杏理さんのことだ! なんという偶然。別件の仕事だし、何しろ杏理さんもKさんも初めて会ったばかりの人。「ここはあまり語らずにKさんの話を伺うことにしよう……」と、インタビュアーあるあるのちょっとしたズルさで、そのまま何食わぬ顔で話を伺ったのですが、終始、杏理さんのプロデュース力を絶賛する内容でした。
「CRAZY KITCHEN」の業務はオーダーメイドケータリングがメインだと思っていたけど?
プロデュース業も相当得意だってこと?
ぜひ、その話も聞いてみたい!
そんなふうに思い続け、連載5回目にしてようやく「店舗やブランドのプロデュース業」に関しての思いやメソッドをお聞きできることになりました。
⚫︎親しい関係がやがて仕事の上でも実を結ぶ
杏理さんが麻布台ヒルズマーケット内「富麗華キッチン」の店舗プロデュースを手掛ける約2年前、「富麗華」との初仕事は2021年のことでした。伊勢丹新宿店の地下1階といえば、食いしん坊なら聞いただけで目がトロンとしてしまう美味の聖地ですが、そこにひしめき合う食の名店の中でも人気の高い「富麗華」の売り場リニューアルを手掛けたのが、杏理さんだったのです。
「以前からたまに食事でご一緒していた方から、初めて、仕事の声をかけていただいて。彼女が敏腕のフードプロデューサーってことは知ってたんですが、すっかり食事友達になっていたので、その時はありがたくもちょっと新鮮な気持ちでした」(杏理さん)
杏理さんの話を聞いていると、そういう「以前からのご縁がある日、突然仕事につながって」ということが多い方なんだなと感じます。かといって、ギラギラと仕事を狙っている感じは皆無なので、おそらくしゃべったり食べたり飲んだりしているうちに、「あれ、杏理さんって仕事をお任せすると素晴らしい結果を生んでくれるのかも……!」という気づきが訪れる、そういうタイプなのかもしれません。
いずれにしても、創業50年になる東京中国料理界の老舗「中国飯店」の姉妹ブランドである「富麗華」から、初めて仕事を任されることになった杏理さん。ミッションは売り場のリニューアル。ところが、目的は、売れ行きを立て直すわけでも路線を大きく変えるということでもありませんでした。
「今もそうですが、当時も売れ行きは好調で。ではなぜリニューアルするかというと、2007年に伊勢丹内にコーナーを構えてから長い時間が経ったから、と。ちなみに富麗華は2000年創業で、母体の中国飯店は1973年創業という老舗です。親子孫と3代にわたって利用されるお客様も多く、そうなるとさらに次世代の新規客を惹きつけるお店にしないとね、というご希望もありました。売れ行きを伸ばすためではなく、未来を創るための一環でもあるんだなと理解した時、これは結構難しい仕事だなと思いました」(杏理さん)
⚫︎ブランドへの愛着は徐々に熟成されるものだから
「富麗華」というブランドに対し、杏理さんはまず理解することからプロジェクトをスタートさせたといいます。ただし、自身の中にあった「富麗華を知らない一消費者としての視点」は残したままで。相手を理解しようと努めつつ、伊勢丹新宿店の食料品売り場を歩く同年代の消費者が「富麗華」をどう眺めるだろうという感覚は、プロジェクトを俯瞰する意味でも重要です。
前述のKさんは、杏理さんチームを東麻布にある「富麗華」本店に招いて実際に食事を体験してもらい、そして双方による目線合わせが始まりました。
Kさんが私に話してくれたことで印象に残ったのは、杏理さんと某老舗ジュエリーブランドの話でした。それはニューヨーク五番街に本店を置く、誰もが知るラグジュアリーブランド。「一生の記念である結婚指輪をこのブランドで誂える人が多いけれど、一方ではアルバイトを頑張れば学生でも買えるアイテムも揃えている。若い時分からお客様の心の中に愛着を形成することで、生涯を通じて付き合いたいと思ってもらえる存在になるのではないでしょうか」というのが、杏理さんが「富麗華」に最初に伝えたメッセージだったというのです。そのことは、杏理さんの側でも強く記憶に残っているそう。
「東麻布にある富麗華の瀟洒な空間はエレガントで重厚感が漂い、サービスも超一流。さすが星付き店で非の打ち所がないという印象を受けました。しかし、私が任されたのは、そんなお店の新たな客層を、伊勢丹新宿店の地下でつかむというミッションです。リピーターが引も切らない本店と同じように構えているだけでは実現しないと思いました」(杏理さん)
思案の結果伝えたのが、ニューヨークのブランドの話。杏理さん自身、高校時代に母親からもらったそのブランドのペンダントを受験のお守りに毎日着けていたという思い出がありました。若い消費者は自分でも手の届くきっかけがないと、たとえ素晴らしいとわかっていてもその世界に入ることはできない。けれど、若い時代から積み上げられた愛着は、ずっと離れられない魅力となって人とブランドを結びつけてくれる。そんなことを、老舗中国料理店のチームに向かって懸命に伝えたのだそうです。
⚫︎敬意を示しつつ新たな何かを添えるために
杏理さんと「富麗華」の最初の歩み寄りを聞いていると、なんと丁寧に相互理解に努めるのだろうと感心してしまいます。ただ、相互理解とはイコール同意形成でもあり、たとえ遠回りに見えても互いの心や最終目的地の確認を繰り返すことで、結局はスムーズなプロジェクト進行につながるということも理解できます。だって、「最初はなんだかすごく盛り上がったのに途中でいきなり話が変わって、最後は計画がひっくり返って、もうめちゃくちゃ……」なんて話を聞くことも多いものですから。
目先の売り上げアップを狙うのではない、東麻布の店は3代続くリピーター客が多い、現状を大きく変える必要はない、それでも若い新規客層の認知度を上げたい、次世代に生き残るブランドに成長させたい……そんな目的を互いに確認し合った後、ようやく杏理さんは具体的なデザインやアイデアを提案する作業に移りました。
「伊勢丹新宿店の富麗華のコーナーでは、リニューアル前は惣菜のパックが一段の陳列棚にぎっしり積まれていました。それをもう少し見やすく、エレガントな雰囲気にしたくて、二段棚への変更を提案しました。Kさんが懇意にされている素敵なライフスタイル系インフルエンサーの方を存じ上げていたので、彼女が暮らしの中で使うような器に惣菜を盛って、棚に並べてはどうかとも提案しました。より、麗しい暮らしがイメージしやすくなると思って。可憐な花を添えたり、読みやすいけれどちょっと殺風景だった商品ラベルにも少しだけデザインを施したりしました。往年の富麗華ファンはこの際そこまで考慮に入れる必要はありませんでした。なぜなら、すでにおいしさや高品質をご存知なので。何も知らない若い方が、“なんだか素敵、なんだか華やか、なんだか食卓が豊かになりそう”と思って手を伸ばしてくださるような雰囲気を形にしたい、それがご提案の意図でした」(杏理さん)
そうして完成した伊勢丹新宿店の「富麗華」売り場。コロナ禍の家ごはんブームも後押しし、売り上げはますます好調に。そして始まったのが次の仕事である「麻布台ヒルズマーケット」の新ブランド「富麗華キッチン」でした。
⚫︎合意形成のためのワークショップが効いた!
かつて誰かが話すのを聞いて感動した言葉に「営業っていうのは、今やっている仕事がそれだから」というのがあります。目の前の仕事で結果を出すことが、未来への営業。杏理さんはまさにそれを地でいく人です。伊勢丹新宿店のリニューアルを終えた「富麗華」は、25年ぶりとなる新ブランド創設に向かって走り出しており、伴走者として再び杏理さんチームを指名しました。
すでに一度仕事をした仲ですが、今度は新規ブランドの構築。伊勢丹新宿店の仕事は一旦忘れ、再度、丁寧なコンセンサスの醸成から仕事をスタートさせたといいます。興味深いのは、クライアントに対してプレゼンテーションを行う前に、双方集まってブランドイメージを共有するためのワークショップを開いたという話。新規ブランドのイメージを、たくさんの形容詞や写真サンプルから選び出して貼り出していくという作業を全員で行ったそうです。
「ワークショップはその後も規模や内容を変えつつ何度かやりました。店名を決める時も、候補のネーミングが何十もあり、それらをいろんなフォント(書体)やいろんな文字組み、平仮名、カタカナ、欧文、漢字でプリントアウトしたものをずらりと並べて、ああでもないこうでもないとすり合わせを重ねたんです。富麗華の皆さんはそのワークショップにとても楽しんで取り組んでくださって、ちょっともうこちらも嬉しくなってしまって。クライアントさんと一緒に同じ着地点を目指して共に進んでいけるって、素晴らしくないですか? ワクワクする時間でした」(杏理さん)
⚫︎チーム全体に浸透した“ワクワクする気持ち”
杏理さんに敢えてここで言わせてもらいますが、その時のその“ワクワク感”はクライアントも制作側も関係なく、チーム全体に伝染していたのだと思います。少なくともこのインタビュー中、聞いている私までワクワクしてしまいました。
同時に、「プレゼンテーションの前に一堂集まってワークショップするなんて!」という驚き。杏理さんは常に、様々なプロジェクトの中でデザイナーやスタイリストなど、「餅は餅屋」とばかりにいろんなプロフェッショナルたちに仕事を任せてチームを作って進めていくのですが、まさにこのチームビルドのセンスやフィーリング作りこそが彼女がクリエイターたるゆえんなんだなぁと思います。
杏理さんが提案する以上に、「富麗華」の方々も必死になって創り上げた次世代富麗華の新しい形、そしておいしさが詰まっている「富麗華キッチン」。今日も麻布台ヒルズマーケットの一角で大勢のお客様に小さな贅沢を届けています。ぜひ近くを通りかかったら、寄ってみてください。そこに杏理さんの名前はありませんが、彼女がプロデュースして作り上げたおいしい気配はしっかりと根付いています。
ではまた、こちらでお会いしましょう。
文/山口繭子
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(共にハースト婦人画報社)を経て独立。現在、食や旅、ライフスタイル分野を中心にディレクションや執筆で活動中。https://www.instagram.com/mayukoyamaguchi_tokyo/